不昧因果

回顧録の様な吐き出したい想いのやり場

カレーライスに福神漬け

何故私は解散してからSMAPを好きになったのだろうか。

 

 

私がSMAPの解散を知ったのはNHKのニュース速報だった。その前からずっと報道でも触れられない日はなくスマスマの収録の出待ちをするファンの切実な思いも感じ取った。

誰が正しいとか何が間違ってるのかもわからない記事が蔓延し知った口振りで語る人や荒れるTwitter、ここぞとばかりにファンにインタビューするワイドショーなどまだ当時そこまでのオタクでもなかった私ですら恐怖と不快感を感じた。

そこで学んだことは信じられることは本人の口からの言葉だけだということだけだ。ラジオの重用性もそこで身に染みた。

結果的にSMAPは紅白には出場せず、最後にSMAP×SMAPで歌唱することが5人のテレビ出演最後となった。

SMAP×SMAP世界に一つだけの花を歌った時に中居さんがハンドサインをした事が話題になった。これはもしかしたらリアルタイムで見ていた人も多いのではないだろうか。それを見た時私は何故か泣いていた。何故かは本当にわからない。でも何か大きなものを失った喪失感を感じていたのかもしれない。

誰かがSMAPはインフラだと言っているのを見た時、その通りだと感じた。SMAPがいることは確実に日常だった。当時の日本人の中でSMAPが居ないことを考えた人はいるだろうか。テレビをつければ誰かが出ていて、国民の殆どが顔と名前、ましてや愛称キャラクターに至るまで一致するグループなどそれまでは殆ど無かったのではないだろうか。

平成で1番売れた曲を持つ男達なのだ。強くないわけがない。誰もが彼らが、いくらふざけていても最後にはアイドルであることを知っていた。しかも最高にカッコイイというではないか! 

ここで本題に戻ろう。私は何故SMAPが今更のように好きになったのだろうか。もちろん知っている人が居るかは知らないが私は関ジャニ∞とV6が元々好きだ。元を辿れば嵐からだ。しかし確実に初めて知ったジャニーズというものの存在は確実にSMAPだったと言える。

ことの始まりとしては親が買ったMr.SのライブDVDだと言えるだろう。最近では嵐でも似たようなことが起きたが、SMAPが解散をするとなった時に一時的なSMAP特需が起きたのだ。私の家はそもそもテレビを、総じてジャニーズを比較的見ている家だった。

SMAP×SMAPのノンストップライブも27時間テレビもFNS歌謡祭も5人旅も全部見ていた。

SMAPという強大なコンテンツの中の1部に属していたのだ。そんな家が最後だしLIVEを見てみようとなっても不思議ではないだろう。

しかし初めに見た時は漠然と凄いということしか感じなかったこともあるが、これがなくなってしまったという目でしか見れていなかったこともあるのだろうか、あまりライブ本編については感想を抱いていなかった。しかしその後私はゴリゴリのオタクになってしまった。ライブDVDを色々見てから思い出したのだ。家に眠っているあのライブの存在を。

そう言えばあれから見てないな。見てみようかな。Mr.Sのライブ

そう軽率に思ってしまった。そして1人で見た時に驚愕した。私はこんなにもとんでもないエンターテインメントをみすみす見逃していたのかと。

あのライブの感想を一言で言うのなら

SMAPがドームを抱いていた。あれはSMAPと京セラドームの2年に1度の逢瀬だった。

 

ジャニーズのエンターテインメントと言うと私の中では嵐一辺倒だったのだが、SMAPはまた少し違っていた。華やかさは嵐も引けを取らないのだが、SMAPのライブは一貫したテーマの元行われる1ブロックずつの構成の舞台だった。他のグループのように飛んだりステージが動いたりはしないのだがそもそも登場が車やらバイクやら半裸やらベットやら女の子とお酒を飲んでるわの選り取りみどりだ。そしてステージは花道が張り巡らされていてどこからでも見やすくなっている。

私の舞台構成に関する乏しい知識ではとても説明しきれないような工夫がこなされていて唯一言えることは金がかかってるということだけだ。そしてそれに加えて驚いたことがある。

SMAPめっちゃ踊るしファンサえぐい

お客さんラッキーさん*1と称してステージにあげちゃうし、基本小物投げちゃう。木村さんとか初めと終わりで衣装違うんじゃないかと言うくらいあげてる。ライブ開始三曲目あたりでドリンク投げててあとの給水が心配になった。*2それまでの私のSMAPのイメージと言ったら踊りはあんまり揃ってないし歌もそんなに上手くないけどまぁSMAPだもんネで許されてるみたいな印象だった。殴らないで。しかし、全然違った。あの中居正広が踊りまくってる。歌ってるかは知らないが。芸能界で伝説級の人達がドームでアイドルをしている。その事実が衝撃だった。彼らから醸し出される圧倒的なオーラと覇王感に私は完全に飲まれていた。私はなぜ一回目にこれを見てあんなに呑気でいられたのだろうか。ライブを見終わる頃にはガッツリ落ちていた。SMAPという独立国家でこそ行うことが出来たであろうライブの虜になってしまっていた。私も所詮京セラドームと同じ運命になってしまったのだ。

SMAPやばいな......カッコよすぎるだろ......知ってたけどアイドルしてる木村拓哉ヤバいな......中居正広顔良過ぎないか......ちょっともっとしっかり窓見てみようかな......とりあえずアルバム借りよう......もう1回スマスマも見てみよう......

SMAPは活動期間の分素材の量は半端ではなかった。オタクが大好きなエピソードやらバラエティとアイドルのギャップは思ったよりも大きく、ズブズブにさせて行ってくれた。

こう流れを見ると私がいずれこの強大なエンターテインメントコンテンツの独立国家に落ちるのも時間の問題だったように思える。第1SMAPはそもそもカッコイイものとして刷り込まれ尽くしていたのだ。そこに僅かに水を加えたら零れてしまうことは最早必然なのだ。

ていうかさぁ!持ち歌に青いイナズマとかライオンハートとか夜空ノムコウかましてや世界に一つだけの花があるとか強すぎるじゃん!

こうして私は解散してからSMAPにハマっていった。確かにもう5人の姿が見られないことは悲しい。しかし彼らは確実にそれぞれの方向を向いて進んでいる。SMAPの欠片を残しながら。それを追いかけて行くことが今はとても楽しいことだと思える。

どうせここまでブログを読んだ物好きなあなたも私もSMAPが好きなことには変わりはないのだ。

そこにあるのはほんの僅かな違いだけ。カレーに福神漬けが有るか無いか位の些細なものだ。こんなの眉唾だと思うなら是非一度ライブDVDを拝見して頂きたい。あなたも最高で最低な男達のトリコになるはずだ。

 

Mr.S “saikou de saikou no CONCERT TOUR

Mr.S “saikou de saikou no CONCERT TOUR" DVD

 

 

*1:メンバー1人ずつ5人各公演ごとに選ばれ、それぞれのメンバーと主に絡むのだが中居さんのラッキーさんは各メンバーが持ち回りで絡んであげている。その時彼はここぞとばかりにダンサーさん達と踊りまくっている

*2:2010年のWe are SMAPのコンサートより

何もかも夢でしかなかった話

2017年7月8日

私はこの日をどんな形であれ完全に笑顔で話せる日は来ないと思っている。

関ジャニ∞のメインボーカルであった渋谷すばるさんの最後のテレビ出演であった関ジャム 完全燃showが異例の生放送で行われた日だ。

この日からもう既に4ヶ月余りが経とうとしている。私は未だにこの日に取り残されたように感じる時がある。他のファンの方々はどうか分からないけれど、6人を見てふとこの日に1人戻ってしまったような気分になる時があった。

彼の覚悟が伝わる文面も、メンバーの強さと本音が垣間見える会見も刻一刻と過ぎていく最後のテレビ出演も、そして初めての6人でのステージも

全部見た。何もかも見逃してはならないと苦しくても辛くても自分の中で受け入れるために変えていくために泣きながらでも見た。そしてこれからも6人を見ていこうと決めたはずなのに。ふとした時に振り返ってしまう。私は未だに夢を見ているのかもしれないと。受け入れて笑顔で話せるようになったはずなのに零れ落ちているあなたの破片を見つけてはありもしない事を望んでしまうこともあった。

そんな時だ、安田さんは赤は私達の中に流れる血の色だと言った。それは彼の心からの言葉だったのだろう。私はその言葉に救われた気がした。私の中の罪悪感や息苦しさを全て変えてくれた、彼らの中に流れているものを感じられるなんて当たり前なんだと思った。それくらいの言葉だった。

関ジャニ∞から発生した苦しさを救うのもまた関ジャニ∞だとはなんて最高な男達なんだろうか。どうしようもなかった。勝手に捕らわれたのはこっちだ。だったら彼らがどこに行こうが何をしようが何処まででもついて行ってやる。私は貴方達にどうしようもなく壮大な夢をみてしまったんだ。 

どうしようもなく愛されていたあなたを見てしまったからどんな形であれ応援できたんだ。会見で泣いてしまった横山さんも、幼なじみとして送り出すといった村上さんも、クロニクルでまるでファンのように言葉を紡いだ丸山さんも、会見にメガネで出席し、赤を血だと評した安田さんも、関ジャニ∞を引っ張ると言って最後に泣いていた錦戸さんも、年上の勝手な決断と言っても最後のドラムを笑顔で叩いていた大倉さんも全部見て決めたんだ。この決断に後悔なんてしてやらない。この出来事で永遠なんてないと今更のように身に染みた。この世は無常だと言った誰かは大正解だ。しかし移ろいゆくものに夢を見るのもまた乙ではないだろうか。

所詮私は夜空に輝く星の観測者でしかなかったのだ。どうしても近づけない存在に少しだけ手を伸ばして、近づいた気分になっていただけに過ぎなかった。だったら何時まででもその星を見ていよう。少しだけ背伸びしながら。その星の話をするために。そして星が光った時に笑顔でいるために。

立派なオタクの作り方(前編)

※この文はあくまでも私が何故関ジャニ∞というグループに落ちたかを、時系列でまとめたものであり、それ以外の意図は全くないものとします。

そもそも小学校の頃の私は、真面目を絵に書いた様な地味な小学生で、教室で本を読んでいて、誰にも話しかけられないこともよくあるみたいな影の薄い女子でした。そのような女子がどこで関ジャニ∞に出会い、村上さんの、仕事のデキる男ぶりと天然のギャップに涙をし、横山さんの美に殴られるようになったのかを振り返ってみたいと思い、このブログを開きました。

関ジャニ∞を認知する
初めて関ジャニ∞というグループを知ったのは2011年ことでした。
その当時、24時間テレビの番宣でちょくちょくメンバーが出ていた時期で、その一環でヒルナンデスに7人全員でゲストで来ていました。
これが不思議なのですが、この当時から私はメンバーの名前と顔が一致していて、私大倉くんが好きーと親に話したことを覚えています。
ここまでガチ村上担になってから話すのも不思議ですが、やっぱり大倉さんカッコよかったんですよね。
こうして私の初めての関ジャニ∞は特に強烈な印象を残すことも無く終わりました。


関ジャニ∞の楽曲との出会い
私が関ジャニ∞を認知しながらも、生活に全く影響を及ぼすことなく過ごしていたそんなある日、強烈な楽曲と出会いました。
よく遊んでいた友達が既にeighterだったのですが、その子が聞かせてくれた曲。それが、あの三十路少年
俺らもうオッサンじゃない!?ヤバくない!?
全然モテてない!?ガキのまま!?と歌っているあの曲です。関ジャニ∞ 三十路少年 歌詞 - 歌ネット歌詞はこちら

言い忘れていましたが、私は嵐のお茶の間ファンだったので、アルバムは当時買っていましたし、Mステや音楽番組に嵐が出たら絶対に見るようにはなっていました。
その、純正の嵐育ちの耳に急に入ってきた三十路少年。その曲のあまりのインパクトに衝撃を受けました。
ですが、その場ではこの曲面白いww以外の感情は起きず、私の記憶の隅に追いやられました。

③曲を借り出す
タイトルからして既にこいつ落ちてない?みたいな節がありますが、まだです。しぶといですね。
私はこの②と③の間に、新たなeighterと出会い、小学校を卒業という2大ビックイベントを経験しています。時系列が分かりにくくなってしましますが、御容赦ください。所詮回顧文なので。
私は、この新しいeighterの子と毎日学校へ通っていました。その子とは、ジャニーズに限らず色々な話をしましたが、やっぱり関ジャニ∞の話が1番多かったです。
そして、その子に徐々に知識を植え付けられていくうちに、脳裏に過ぎるものがありました。
そう、あの強烈なインパクトを残した三十路少年です。あの曲をもう一度聞きたい。あれは果たしてなんだったのか。本当にあんな歌があるのか。
そうして、小学校を卒業後その思いに耐えられなくなった私は、貰いたての学生証を握りしめてTUTAYAへレンタルをしに行きました。

ここまでが、関ジャニ∞との出会いです。
後半は私がヨコヒナ厨になるまでの気持ち悪い道のりですけど読みたい人いるんですかね。
もの凄く読みにくい。ブログの書き方難しいですねー。